2013年5月20日月曜日

「ドン・ファンの教え」より 第二の敵 心の明晰さ

昨日からの続きです。

もし 恐怖に打ち勝ち この世で 何一つ
怖いものが 無くなったら
私たちは 明晰さを 手に入れることができるのです。

でも この明晰さこそが、第二の敵となるわけです。

「恐怖を追い払うが 盲目的にしてしまうのさ。
それは、自分自身を疑うことを決してしなくなるのさ。
何事もはっきりと見ちまうから、自分自身のしたいことは
何でもできるという確信をもたせるのさ。
彼は、明晰だから勇敢だし、何事の前にも立ち止まることはない。
だが、これがすべてまちがいだ。彼は、本当は完全ではないのだ。
もし この確信させる力に従えば、
第二の敵に敗北し、学ぶことに失敗するだろう。

そして知者になることを冷たく止めるだけさ。
そのかわり、そいつは楽天的な戦士とか道化になるだろう。
彼が、明晰さが暗闇とか恐怖にまた変わることはない。
一生明晰だろう。だが二度と学んだり何かを望むことはあるまい」

「つまり、明晰さを無視して見るためだけにそれを使い、
じっと待って新しいステップに入る前に注意深く考える。
自分の明晰さが、目の前に一点ににしかすぎないことを理解するときがくる。
こうして 第二の敵を 打ち負かすんだ。
そうして何物も彼を傷つけないところへ着くわけさ。
これは、間違いじゃないぞ。
それは単なる目の前の一点じゃない。本当の力だ」

でも、ここで 第三の敵 力に出会うわけです。


ドン・ファンの教えは、ちょっとした日常にもありますよね。
例えば、明晰さは 「知ったかぶり」をする人に似ているように思います。
傍からみると「道化者」にみえたりしませんか。












0 件のコメント:

コメントを投稿